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選手列伝 Vol.37 柳詰 正宏選手


柳詰 正宏 97期

やなづめ まさひろ


門司競輪最後の勝負師34歳


師匠は今村康志氏66期

祖父は柳詰利明氏6期

叔父は柳詰美義氏35期


ニックネーム ヅメ


脚質 最後まで諦めない地脚タイプ


祖父も叔父も競輪選手の競輪なる一族に生まれる。

実家は門司競輪場のすぐそばで、打鐘の音を聴きながらスクスクと育った。


小学校はソフトボール、中学校は野球部で過ごすも引退後に陸上部の助っ人として北九州市の駅伝大会に出場し見事区間賞に輝き、多くの高校からスカウトの声がかかった。

しかし、夏休みに父と見に行った競輪に衝撃を受け競輪なる一族の血が覚醒してしまった柳詰少年はスカウトのかかった野球も陸上も断り、自転車部のある名門豊国学園へと進学したのだった。


自転車部には、三年生に豊国三羽烏と云われた(?)是永幸寛、飯田裕次、北津留翼、二年生に樫山恭柄、秋永昂人がおりストレスの無い自転車部生活を楽しく謳歌し、三年生のインターハイのスクラッチで優勝し国体ではエリミネーション2位の結果を残した。


順風満帆に最初の関門である競輪学校にもすぐに合格できるかと思われたがなんと92期から受験を始めるも97期で合格とかなりの時間を費やしてしまった。


92期から96期の間は師匠と二人で練習を頑張っていたが、どうしても試験科目の200ハロンのスピードがクリアできずに苦しみ続けた。

アマチュア生活を続けるために、後に同期となる飯田裕次とクロネコヤマトでアルバイトを二年間頑張った。


そして、課題をクリアするべく師匠との練習に加え、メディアドームで多くの選手を輩出した片山徹氏の指導する朝練習グループに参加し、猛練習に耐え見事97期生として合格、在校8位の好成績で卒業し、競輪選手としての道を歩み出すこととなる。


そんな柳詰青年もS級へと昇級するまでに3年の年月がかかり、更にS級での厳しい戦いの中でその戦法を自力から自在、追い込みへと変えていきS級一班へと上りつめた。


現在はS級二班に甘んじているが、勝ちを意識したレースで再びS級一班へと返り咲くべく競輪なる一族の血をたぎらせている。










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