選手列伝 Vol.32 是永 幸寛選手

是永 幸寛 94期
これなが ゆきひろ
勝利へのコースを睨み続ける35歳
師匠は由川雅之氏66期
飯田裕次選手とは大の仲良し朋友
趣味はガーデニング
脚質は我慢強くあきらめない地脚タイプ
小学校4〜6年は柔道、中学生時代は野球部とごくごく一般的な義務教育課程を修了させた(大体みんなそう)是永少年は、兄が自転車の長距離系競技で活躍していた名門豊国学園へと進学を決め、そのあとを追いかけ自転車部へと入部したのだった。
北津留翼、飯田裕次が同級生だが、豊国三羽烏とは呼ばれることはなかったが、北津留翼の活躍のおかげで高校の大会では学校が総合優勝をすることができた。
そんな高校時代はキャプテンを務めており、北津留に頼られていたと証言しているがその事実を知る者はいない。
しかし、3年生の時には国体に出場し4000m速度競走で二位の実績を残しており、日々の仲間たちとの練習により、しっかりと確かな実力を身につけていた。
自転車部のメンバーが競輪選手を目指していくという環境の中で自らも将来の進路を競輪選手へと決めた。
アマチュア歴は4年と長くかなり苦労し、最初の2年ほどは自分なりに頑張ってみたが競輪学校合格への道は過酷で厳しく挫折した。
その後一年間社会に出て働いていた。
当時是ちん選手の両親は焼き鳥屋さんを営んでおり、このお店の焼き鳥はとても美味しくて小倉競輪の選手がよく訪れていた、後の師匠となる由川雅之氏もその中の一人だった。
ある日、お店にやってきた由川氏とその場に居合わせた是ちん選手、これまでの是ちん選手のいきさつを知っていた由川氏は「もう一度やってみないか」と熱く是ちん選手を説得し、是ちん選手の心の奥深くで眠っていた何かに火がついて燃え上がった。
そこから二年間まだまだ苦労はするものの、なりふり構わず頑張って見事合格することができ、94期生としてデビューしたのだった。
レースへの意気込みは、マーク選手として心を鬼に、番手身上をモットーとし、頭がクラクラするほどのブロックを繰り出して、頭でゴールすることを目指すことだそう。
趣味はガーデニングだそうだが主に土を固めているらしいw
是ちん選手が綺麗な大輪の花を咲かせてくれることに期待しています。